能登国分寺跡
能登国分寺跡
843年に設置された能登国分寺の史跡。南北208.8メートル、東西183.9メートル、ほぼ2町四方の寺域をもつ。中軸線に沿って、南大門の48メートル北に中門、それに連なり東西にのびる築地塀があり中門の北48メートルの地点の東側に塔、西側に金堂が、心々の距離48メートルで並ぶ。さらに北30メートルに講堂が配され、法起寺式伽藍配置をもつ。塔の柱間は1.5メートルと小さく、三重塔かと思われる。
国指定史跡
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日本全国に「府中」の地名が見られますが、これは昔「国府」がおかれて
いたことを意味しています。七尾にも府中の地名があり、能登全域を司る
国府が置かれていたことを物語っています。国分寺の所在箇所と国府の所
在箇所は全国区でみると必ずしも同一でないそうですが、殆どの場合はほ
ぼ近くに作られていたそうです。
その国分寺が七尾の古府町から発掘されました。もしかしたら古府町の町
名はこの国分寺跡からつけられたのかもしれませんね。比較的新しい歴史
なので調べればわかるかもしれません。肝心の国分寺跡ですが、門の復元
作業が行われました。映画などにも良く似た建物が登場しますが、どうも
寺というより神社に近い気がします。
とはいえ、奈良の唐招提寺や薬師寺、東寺などなどの囲みはこのような雰
囲気になっています。寺の創りも時代を追って変化しているのでしょう。
朱塗りというのもまた趣きがあります。ちなみに江戸時代の七尾の地図に
はこのあたりは全く何もありません。私見ですが、国分寺は町の中心では
なく、町に入れない人の拠所(外来者)、もしくは町へ入るための検問所
のような役割りを果していたのではないでしょうか。
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